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心理ドックには、さまざまな悩みを訴えて大勢の方がやってきます。
「普通の人は人前でも平気で話しているのに自分は緊張して声が震える」「好きでもない人の前でも赤面するので勘違いされる」「サインする時に人が見ていると手が震える」「乗物や映画館、美容院などで具合が悪くなるのが怖くて行かれない」などなど。
しかし、よく話を聞いてみますと、『人前で話した経験がほとんどない』『人付き合いに慣れていない』『人に注目されている状況で自分らしく意見を言ったり行動したことがほとんどない』あるいは、『人に迷惑をかけてはいけないと考えて、乗物などで具合が悪くなっても助けを求められない』『人に嫌われたくないので相手の都合に合わせたり相手の要求を断れず、自分の都合や要求を出すことをほとんどしたことがない』そういう人たちばかりなのです。
症状や悩みを抱えている人は、自分が他人と同じようにできないことに強い劣等感を持っています。人と同じようにできないことを恥ずかしいと思うのはよいとしても、他人から笑いものにされるとか、馬鹿にされると思っている人も多いのです。〝変な奴〟とか〝おかしい奴〟だと思われたくない。また、人に嫌われることや人に迷惑をかけることで〝嫌な奴〟だと思われたくない、という理由で、気持ち悪くなったり、手が震えたり、人前で緊張したりしそうな場面を避けています。
誰だって人に嫌われたくないし、〝変な奴〟とか〝嫌な奴〟とは思われたくないので、こうした『避ける』という行為自体がおかしいことだとはなかなか気づきません。問題解決のために、緊張する人は緊張していないように平気を装うとか、また、パニックの人は、すぐに降りられるようにドア付近に立ったり、外の風景を見ることに集中しようとしたり、眠っているフリをして具合の悪さから気をそらそうとします。あるいは、〝変な奴〟だとか〝嫌な奴〟だと思われないように、相手に合わせたり、ご機嫌をとることをします。
すなわち、他人から見て〝変な奴〟〝おかしな奴〟〝嫌な奴〟でないように振舞おうとしているのです。つまり、自分の欲求や感情、自分の気持ちや考え、自分の行動の仕方などを持たないようにして、『人に嫌われないこと』を最大の目的にしているのです。自分は電車の中でどんな風に過ごしたいのか、自分は人前でどんな風に振る舞い、どういう感じでしゃべりたいのか、自分はどんな人を友達にしたいのか、などなど、自分を主体にした「自分は~したい」「自分は~と思う」「自分は~と感じる」「自分が~する」など、自分を中心にしたものの見方や考え方を見失ってしまっているのです。
対人関係の悩みの出発点は、「他人は(普通の人は)どのようにしているか」「他人がどう思うか」「相手にも都合が・・」などと、他人中心のものの見方や考え方から自分を見て、「他人とは違う」ということで悩み始めるのです。しかも他人と違う自分は『悪い』とか『嫌われる』『変だと思われる』『無視される』というマイナスの考えを持っているのです。
ここで私たちは真剣に考えなければならないことがあります。今まであなた達がやってきた方法、すなわち、症状や問題を人に知られないように隠すやり方が成功して、誰からも変だと思われなくなったとしたら果たして本当に安心でしょうか? 他人に知られることを最も恐れてきたのですから、それが成功すれば明日から安心して自由に過ごせるのでしょうか? 「自分の問題は治った」と本当に思えるのでしょうか? いいえ、決してそうは思えないでしょう。やはり、無防備で、心から安心して自分がしたいことを自分のぺースで自由にやれるようになりたいと思うのではありませんか? こうした他人思考的、他者中心の考え方から、自己中心の考え方、自分が自分らしく自分として生きる生き方を取り戻すことが最も必要なことではないかと思います。
では、「自分らしく」とか「本当の自分を生きる」とはどういうことなのでしょうか? 「自分の気持ちに正直に生きる」とはどういうことなのでしょうか? 「自分らしく」とか、「自分に素直に」とは、どういう事かと言えば、「他人と比べて自分は・・・」と、自分を否定したり、「他人にできることがなぜ自分にはできない」と自分を責めることではなく、「他の人はあんなふうに自由に自然にできる。いいなあ。羨ましいな。今の自分は症状や問題があるけど、自分もあんなふうになりたいなあ!」と自分の正直な気持ちを素直に受け入れることです。『他人から見た自分が良いか悪いか』は関係ありません。他人対自分ではなく、『自分から他人を見て素直に羨ましがり、自分もそれを手に入れることを素直に望むこと』が大切なのです。
したがって、自分のこれまでの生き方を冷静に振り返って、『本当の自分』を愛することができるように努力することが大切なのです。
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